暗い世に明るい笑いを 狂言師 茂山千作さん
 
Newsメニューにもどる
 
 舞台に登場した瞬間,観客のほおが一気にゆるむ。歳月を重ねて円熟味を増した芸への期待感が,
客席を包み込んでいく・・。
 「年を経るごとに,芸はもちろん,顔のしわ一つひとつにさえ味わい深さを加えて,『これぞ狂言』
という顔になえいはった」。三十年以上のつきあいがあるベテランの女性演劇記者は,感慨深そうだ
った。
 四世・茂山千作。狂言大蔵流の名家・茂山家の要(かなめ)である。四歳で初舞台を踏んで以来,
七十余年。長男の千五郎(54)は「親父は狂言を演じるために生まれてきた男」と話す。昨年には”
飽食の時代”を皮肉った新作狂言「椎茸典座(しいたけけんぞ)」を披露するなど,常に何かに挑み
続ける姿勢はいまも変わることはない。
 「暗いことばかりが目につく世の中やからこそ,狂言のカラッとした明るい笑いが必要と思います
のや。腹の底から笑って笑って,晴れ晴れとした愉快な気持ちで家路についてもらえたらうれしいで
すな。」
 戦後,多彩な道を歩んできた。ときにはセンセーションも巻き起こした。
 「狂言師は狂言以外に演じてはいかんと考えられておりましたから。女優さんと一緒に舞台に立つ
なんて,とんでもないことやった」
 そんな時代に,弟の千之丞(76)とともに歌舞伎や新劇,オペラとのジャンルを超えた交流を図り,
批判覚悟でテレビにも出演した。もちろん,好意的な反響ばかりでではなく,能楽協会からの除名騒
ぎも起きた。
 が,「狂言を楽しむ人が少なくなっていた。どうすれば多くの人に狂言を楽しんでもらえるかを考
えただけ」。平たんではなかった道のりを,千作は自信を持って振り返る。
 閉鎖的で封建的な伝統芸能の世界に新風を吹き込んできた千作の恩恵を存分に受けているのが,孫
の宗彦(24)や逸平(20),和泉流の野村万斉といった若手狂言師たちだ。
 当たり前のように,テレビドラマやCMに登場する若手の活躍が,それまでの狂言になかった若い
客層の心をつかんだ。「この一,二年,狂言の世界もえらいにぎやかになって・・」と千作も戸惑う
ほど,狂言界は元気である。
 しかし,狂言の基本を踏み外したり,表面だけの人気に満足してはいけないと苦言も忘れない。
 「付け焼き刃のような芸では,いずれお客さんは離れていく。基本さえしっかり押さえておけば,
どんなことに挑戦しても道を間違うことはない」
 お豆腐主義・・。茂山家に語り継がれる家訓だ。
 「お豆腐は味付けによって,高級料理にもなれば,庶民のおかずにもなりますわな。狂言も同じで,
その場にふさわしい狂言を演じるのが大切やと思います」。例えば寺蔵盆のような時には町の人々に
楽しんでもらえる狂言,能の合間にはカチッとした伝統的な狂言というように・・。
 この「お豆腐主義」の生みの親は二世千作で,町内会の集会などどこでも気軽に出かけて余興の狂
言を演じたという。四世千作も戦後,全国の学校で狂言を演じる「学校巡回」を始めるなど,子供た
ちに狂言の面白さを伝えてきた。
 八十歳の今も年間百二十本以上の舞台に立つ千作。苦労を分かち合ってきた千之丞は,尊敬する喜
劇俳優としてチャップリンらとともに千作の名を挙げ,「神様です。かないません」と脱帽する。
 妻の恵子も「もう少し体を大事にしてほしいと思いますが,舞台一途の人。どんな舞台でも全力投
球し,『くたびれた』とは絶対に言わない。」と話す。
 「私は狂言しかようしません。一人でも多くの人に狂言を見てもらいた。それが願いです。」
 人間国宝となっても初心を忘れず,ひたむきに自分の道を走り続ける。=敬称略
 
茂山千作(しげやま せんさく)氏 大正8年12月,京都市生まれ。本名・七五三(しめ)。昭和41
年,茂山家の当主名の十二世「千五郎」を襲名。平成元年,人間国宝となり,3年には狂言界で初め
て日本芸術院会員に認定された。6年に「千五郎」を長男に譲り,隠居名の四世「千作」を襲名した。
 
(記者 産経新聞京都総局 伐栗恵子)
平成12年(西暦2000年)1月13日(木)産経新聞掲載
 
Newsメニューにもどる