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夢を原動力に没頭
 
海洋堂館長 宮脇 修さん(72)
 
 毎月四百万個という驚異的な発売数を誇る菓子がある。一個百五十円のおまけつきチョコレー
ト,フルタ製菓の『チョコエッグ』。銀紙をめくって卵形のチョコレートを割ると,中にプラス
チックのカプセルがあり,その中からエゾリスやペルシャ猫といった組み立て式のリアルな動物
フィギュア(模型)が出てくる。
 人気の秘密は,おまけの動物の精巧さ。その企画・製作にあたるのが宮脇さん率いる大阪・門
真市の模型メーカー「海洋堂」。前身の”プラモ屋”の時代から伝説の店として,熱狂的なファ
ンをもつ。もちろん,伝説の多くは,宮脇さん自身の足跡でもある。
 「海洋堂」という社名が示すように,子供のころから,海が大好きだった。
 しかし,青春は戦争の影の中。十五歳で旧満州鉄道に入社,中国で敗戦を迎え,十八歳で引き
揚げを体験。三十代なかばにして「海洋堂」を起こすまでの半生は,平たんとはほど遠いものだ
った。
 マグロ漁船の乗組員,土佐の一本釣りの漁師,広告会社の支店長,地方自治体の衛生課・・・。
三十数種の職を転々とする。原因は,どんな仕事にでも没頭してしまう性格と,思いついたアイ
デアをすぐ行動に移す並外れた実行力にあった。
 「衛生課でゴミ集めをしていたときは,集めたゴミから日本の景気を分析できると考えて,一
部のゴミを自分で分別していたんです。そしたら上司ににらまれて。三ヶ月目でちょうど傾向が
見えてきたとこやったのに」と笑う。
 そんな転職人生を終らせたのは,長男,修一さんの誕生だった。一人息子が生まれ,小学校に
入学するのに,父親に定職がないのでは,格好がつかない。「それで,勤め人がだめなら,自分
で商いをしようと・・・」
 元手は一坪半の土地と7万円の資金だけ。店の名は「海洋堂」と決めていたが,プラモケイ(プ
ラモデル)か,手打ちうどんの店にするかで悩み,愛用の木刀を倒して模型店に決める。
 「発端がそれですから私自身,プラモケイに対する興味も知識も,当然なかった。何を仕入れ,
何を売ればいいかは,顧客である子供たちに教わりました。」
 しかし,店を開けば持ち前の没頭癖が頭をもたげる。三年間で十回の改装を行い,十五坪に拡
張。店の三分の二をプールにし,子供たちが船艦などの海洋模型を走らせることのできる画期的
な店内構成で,業界の注目を集める。
 「何がなんでももうけたいと始めた商いでしたけど,子供たちとかかわるうちに,商いには”
夢”がなくてはと思うようになりました。」
 夢とは,商品の箱の中に詰める宮脇さん自身のアイデアとハート。その夢を原動力に,昭和四
十年代に帆船模型ブームをしかけ,「帆船の海洋堂」の名を全国のマニアに知らしめる。
 ところが昭和五十年,「日本人のつくる帆船模型には海のにおいがない」と,帆船模型販売か
らあっさり手を引く。そして次の夢を,プラモケイづくりの工具の開発におき,自らその新しい
工具を紹介する全国行脚に出る。
 そんな町の一模型店を超えた行動は,「海洋堂のおやじは変わっとる」といううわさを呼び,
新しいモノづくりを目指す若者たちを引き寄せることに。
 「昭和六十年に会社組織にするまでは,十人ぐらいのマニアがウチに寝泊まりし,自分のつく
りたいものをつくってましたね。」
 そこから恐竜のガレージキット(ハンドメードの模型)や,アクションフィギュア(可動人型
模型)といった独創的な作品が生まれていく。チョコエッグのおまけの原型を製作した造形師,
松村しのぶさんも海洋堂育ちの元模型少年だ。
 
箱に詰めるのは,アイデアとハート
 
 「帆船模型博物館を作ること」「恐竜テーマパークを作ること」「ゴミをテーマにした小説を
書くこと」「ハリウッドのSFXの担い手である旧知のクリス・ウエイラスとアメリカで映画を
つくること」・・・。宮脇さんに「いまの夢」をたずねたら,どんどん答えがかえってきた。
 エネルギーの源は恋をすること。「もちろん女性にも,仕事にも」と笑った。
 
 
みやわき・おさむ 昭和3年,高知県生まれ。高等小学校卒業後,15歳で旧満州鉄道入社。昭
和21年,日本に引き揚げ。30数回の転職の後,39年,大阪府守口市で模型店「海洋堂」開業。
帆船ブームやガレージキットブームの先駆けとなり,模型メーカーに。平成11年9月に発売さ
れたフルタ製菓の「チョコエッグ」のおまけ”日本の動物コレクション”の企画・製作で社会現
象を起こす。大阪府門真市在住。
 
(記者:服部素子)
平成13年(西暦2001年)2月10日(土)
 
富雄高校のスタッフが総力をあげて集めたチョコエッグおまけの数々 
 
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